津田翔平「閾」についての雑記

ディレクターのミヤタユキから作品を振り返ってブログを書いて欲しいと言われたので人生初のブログ(雑記)を書いてみます。誰に向けて書く訳でもなく、生前身の回りで起きた出来事を淡々と書かれていた菊池さん家のおじいちゃんの日記に敬意を。そして短い間ながらも、その日記が書かれた場所で過ごすこととなった素晴らしい日々に感謝を。

津田翔平 『閾』についての雑記

10月の「ヒタチオオタ芸術会議」からあっという間に三ヶ月が経った。イベントが終わりすぐに11月には木津川アート2014(京都)では東山佳永と二人での共作を発表。9月に展示したまつしろ現代芸術フェスティバル(長野)から三ヶ月続いていた展示ラッシュは落ち着いて、そのせいかなんだか落ち着かない。滞在制作する度に場所に対する愛着が生まれ、年末年始はここで過ごそうかと思うほどに第二の故郷が増えるような感覚になる。しかし戻るは我が故郷、ノイジー東京。同じようなパートタイムジョブを繰り返しつつも、映像を撮影したり、音楽のアートワークを制作したり、展示プランを練ったり、人生プランを練ったり、いつのまにか歳を重ねたり、ふわっと子供に戻ったり。経て、経て。

そんな日々を過ごしている間にも常陸太田の高台の菊池さん家では自分の作品がまだ残っていることをふと思い出す。「常設展示」という形は初めての事だけど、その場所はギャラリーでも美術館でもなく紛れもなく人の家の居間。「常設」でも「展示」でもなく、あわよくば遠慮することを諦めもうすこし此処に居させて下さいお願いしますと「居候」しているような形だ。解体した床材を空中に吊るすために使用した手芸用紐リリヤンは重力に逆らえず時間と共に引き伸ばされ、いづれプチッと切れるだろう。それまでの時間。その状態は悪く言えば「停滞」/良く言えば場所に「定着」し始めているだろうか。どちらにしても作者本人が離れた今もなお空間に佇み当然のように地元の方々が団欒する光景があるという事実は、ある一定期間の展示で仮設的かつ即興的にインスタレーションを作ってきた身として今後の制作スタイルと意識する時間軸に大きく変化を及ぼす経験だ。作品の前で甘酒を楽しむ光景を誰が想像しただろうか。

津田翔平「閾」についての雑記

(写真:数ヶ月後、常設された作品とその前で団欒する地元の皆さん。FBページ『今日のこしらえる人』から転載)

作品のことを振り返って書こうと思うと作品以外のことを書くことになってしまうほど、作品制作=高台の菊池さん家で起きた出来事そのものだった。制作から数ヶ月経ったいま、制作前、制作中の事を写真と共に振り返りたい。

津田翔平「閾」についての雑記
家まで続く坂道の曲線、丘に咲くコスモス、高台から見える景色、既にここにある全ての物事が刺激だった。

(写真:制作前に「高台の菊池さん家」を撮影したもの)

 

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展示会場は「高台の菊池さん家」。滞在制作といっても自分の作品を作るだけではなく、この家に住んでいたおばあちゃんの手芸品や地元の方々の陶器を同じ空間で展示するという会場構成を考える所から始まる。他のアートイベントではあり得ない無茶振りとも思えるような依頼に今まで感じた事のない興奮を覚えた。おばあちゃんの手芸品を飾ったり、畳を宙に浮かしたり、陶器に光をあてたり、と自分にできることを考えた。経年劣化と共に建物全体は歪み、住む人が居ないために立て壊す予定だった「高台の菊池さん家」に10日間、滞在し、介在した。

津田翔平「閾」についての雑記
(「陶水会」の皆さんと 思い思いの陶器を囲んで)
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(おばあちゃんの手芸品 紙で作られた人形たち)
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(おばあちゃんの手芸品にも使用されていたリリヤン)
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(解体した床材をリリヤンで吊り始めたところ)
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(おばあちゃんの人形を引き連れた母の様なミヤタユキ)
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(畳二畳を浮かすため解体中の大工の政也さん)
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(浮いた畳の上で思考中の東山佳永 いい風が吹いた)
(頑張り過ぎで気絶中の佐藤慎一郎 おつかれさま)
津田翔平「閾」についての雑記
(おばあちゃんのチラシの蝶を見ながら制作中の林友深)

見たことのない風景を想像することからもう一つの物語が始まる。何を作るかという問いよりも先に、どんな家だったのかをご家族の政子さんに聞いた。そしてかつておばあちゃんの寝室だった和室の天井に、おばあちゃんの手芸品を一つ一つ手に取り、飾り始めた。それらが微細な空気に触れ光がゆるりと回るたびに、全体の舵を取ってくれているような気がした。 何を作るかという問いはさほど問題ではなくなり、手芸品や陶器と共に「この家でどうやって一緒に暮らそうか」という思考回路になっていた。

おばあちゃんの手芸品、地元の方々の陶器、子育て支援マスコットのじょうづるさん、林友深のグラスデコ作品、ミヤタユキの鯉のぼりを使った作品、東山佳永のパフォーマンス、そして自分のインスタレーション。お互いが主張しすぎれば到底カオスから離れられないという状況の中、「高台の菊池さん家」ではごくごく自然と、それぞれがただ波となって同じ場所で出会うことができた。
津田翔平「閾」についての雑記

(写真:制作中の会場風景 全体)
・右側の和室では、部屋中央の畳二畳を浮かすため大工の政也さんが解体&再構築中
・左手前の和室では、コーディネーターの佐藤慎一郎がおばあちゃんの手芸品を設置中
・左奥の洋室では、ミヤタユキがおばあちゃんの人形を回すための回転台を制作中

この家に来た時には家中の建具は処分されていて、むしろそのことが吉と出る。つまり部屋の仕切りが元々無かったことがそれぞれの作品をフラットに繋ぐ一つの要素になった。この事は作品タイトルを『閾』にしたきっかけでもある。

さらに玄関入って正面にある居間では、菊池さんご夫婦の手により傷んだ畳は半分ほど剥がされ解体され始めていた。かつて掘りごたつやテレビがあり家族が団欒していたであろう居間。私はこの部屋で床下の地面が丸見えになるまで剥がすことを進めながらも、またそこに戻していくことを繰り返す。解体業者でも修理業者でも改装業者でもなく、その中間を彷徨いながらの解体/測量/再構築。おばあちゃんが手芸で使っていたリリヤンという紐を使い、居間の床材をビーズ代わりに空中で留めていくという作業を自分の身体が入れなくなるまで続けた。

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(写真左上)制作中。部屋中に散らばったリリヤンと解体した床材。
(写真右上)制作中。おばあちゃんに見守られているような気持ちになった。
(写真左中)外の光が綺麗で窓を開けた。この瞬間から作品全体の流れを掴み始めた。
(写真右中)ふと家の外に出ると近所の方々が集まって庭の手入れを手伝いに来ていた。
やってることは全然違うけど自分たちの活動も長い間続けて突き詰めたらこういう事になるかもしれないと思った。
(写真左下)展示前夜。吊るす床材も紐も残り僅か。身体が入る隙間も無くなってきた。
(写真右下)居間の窓。蜘蛛の巣に引っかかった風鈴と、外から続くように繋いだ数本のリリヤン。

窓の外には使われなくなった古い小屋、蜘蛛の巣に引っかかった風鈴、腐って捨てられた畳。
進んでいるような、戻っているような、まさに、今、その途中。

ミヤタユキが「この場所を使いたい」と言った時点から家が少しずつ動き出していた。

おばあちゃんが毎日往復していたこの家の坂の途中で立ち止まり遠くの山を眺めていたら坂はどちらに向かうかで登り坂にも下り坂にもなるんだなと当然の事を感じた。

展示が始まり、沢山の人がその坂を登り、「高台の菊池さん家」に集まった。

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おばあちゃんが生きていたら、作品のことをどんな風に語っていただろうか。
おじいちゃんが生きていたら、ここで起きた出来事をどんな風に日記に書いていただろうか。

お二人が生前過ごされた家で、お二人が残された空気に触れ、時を超え同じ場所に居られたことが幸せでした。

最後に、制作中の自分の写真/作品についてのテキスト/作品の記録写真、を載せて人生初のブログを終わります。
人に伝えるデスマス調ではなく長い一人言のような拙い文章を最後まで読んでくださりありがとうございました。

おばあちゃん、おじいちゃん、菊池さんご夫婦、ご家族、ミヤタユキ、友ちゃん、慎くん、佳永ちゃん、政也さん、 なるさん、仲田さん、 根本さん、陶水会の皆さん、じょうずるさん、そして常陸太田の方々、展示を観にきて下さった方々、ありがとうございました。自然と溢れ出る優しさとエネルギーに満ちた時間を忘れません。

またお会いできる日を心待ちにしています。
ありがとうございました。

津田翔平

津田翔平「閾」についての雑記

作家:津田翔平
題名:「閾 – liminal / subliminal – 」[2014]

手法:即興建築、ミクストメディア、インスタレーション
素材:手芸用紐(リリヤン)、解体した廃材(根太、床板)
場所:高台の菊池さん家/常陸太田(茨城)

経年劣化と共に建物は歪み、住む人が居ないために立て壊す予定だった家。既に居間の床板は腐蝕し解体され始めていた。かつて掘りごたつやテレビがあり家族が団欒していたであろう居間。私はこの家に残された手芸品に触れ、共通して使われていた手芸用の紐でビーズを通す代わりに解体した床の廃材を空中に留めていく行為を繰り返す。窓の外には、やがて土へ還る畳と、蜘蛛の巣に引っかかった風鈴。生起と消失/乖離と統合の境界を彷徨い、解いては結ぶ時間。閾を問う。

【閾(いき)】
門戸の内外の区画を設けるために敷く横木(蹴放・けはなし)、敷居を意味する。または、光や音などの刺激を量的ないし質的に変化させるとき、ある点を境にして気づかれ、あるいは気づかなくなる、その境目にある刺激の強さ。すなわち人の意識が現れたり、現れなかったりする境目を意味する。ある特定の反応がそれとは異なった反応へと(またはある経験がそれとは異なった経験へと)転換する現象をさす。

コメント:
私は東京から常陸太田にある「高台の菊池さん家」へ来ました。会期が始まるまでの10日間、自身の作品構想を練ることと同時に、この家に住んでいたおばあちゃんの手芸品や、地元の方々の陶器、それらを一つの家で展示(同居)するための全体構成を他のアーティストやコーディネーターと共に考えました。それまで知らなかった土地に、それまで知らなかった人に、それまで知らなかった人の家に、それまで知らなかった人の作品に、触れるということ。さらに無意識的に触れ方が変わり続けているということを意識すること。その間を行き来すること。

山と川、月と星、朝と夜。車の音と光、24時間営業ではないコンビニ、電波の繋がらない携帯電話、窓越しに挨拶するご近所さん、人の優しさ、自分の為に作った器、誰も住まなくなった家、その家に住みはじめた私達、家族という言葉の曖昧さ、優しい顔の遺影、92年という時間、往復し続けた坂道、おばあちゃんの好きだったコスモス、何も言わずに入ってしまった玄関、解体途中の居間、捨てられない物が残る台所、寝室だった和室、リフォームされた洋室、物が無い押し入れ、おじいちゃんの木彫、蜂の巣と化した雨戸、竿だけ残された軒先、磨りガラスの光る窓、消えた襖と障子、剥がされた畳、歪んだ家、浮いた景色、蜘蛛の巣に引っかかった風鈴。

私の身の周りで起こるあらゆる出来事が刺激となり、肉体と精神を動かしました。
アートと呼ばれるもの/アートと呼ばれないもの。

その間。その境。その閾を問い、閾を超えて。

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津田翔平|Shohei Tsuda
1986年 東京都出身
芸術家/実験建築家/ノイズレーベル主宰/アートディレクター
所属: IN/AWT | KYO-ZO | UNNOISELESS | shrine.jp
空間に於ける個人の存在を探究する実験や、既にそこに在る事象を志向/拡張することで意識と無意識を反転させる作家。多次元空間を紡ぎ出すかの様に制作された作品群には一貫して解体/測量/再構築といわれる建築的要素が含まれている。インスタレーション・グラフィック・映像・音楽等、表現の媒体は問わず幅広く活動。ノイズレーベルUNNOISELESS 主宰。
個人の制作の他に、踊り手/美術家・東山佳永とのユニット「東山佳永と津田翔平」としても活動。
IN/AWT(安藤透、渡辺俊介、津田翔平)では映像を主体とした企業との共同制作。
KYO-ZO(可変ユニット)では空間においての個人の存在を探求する実験作品を展示。
2012年12月、音楽家dagshenmaと共同でノイズレーベルUNNOISELESSを設立。
2014年5月から、京都の老舗レーベルshrine.jp iTunes月刊リリースのトータルデザインを担当。
Shohei Tsuda
www.shoheitsuda.net
UNNOISELESS
www.unnoiseless.net

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